今から語る話は、信じてもらえないでしょうが、私の実体験です
実体験、そして私の家系に関わる以上、私にはとても意味があります。
これからお話する話は娯楽エンタメではないのです。私にとっては真面目な話なのですが、目に見えない世界が関わる以上、信じる信じないはお読みいただくあなた次第という事で。
どうぞ冷静かつ客観的にお読みください。
私の実家はど田舎の旧屋敷、冬の豪雪の重さに耐えられる独特の作りになってます。
簡単にいうと、「古民家」※わざわざ作ったというより、時間経過でこうなった。
雪国の屋敷に住んだことがある人ならお判りでしょうか、築年数を経れば経るほど雪の重み・湿気で家がゆがみ、扉・窓等が開きづらくなってきます。
力を込めても扉がなかなか開かないのです。
しかも実家は大きな屋敷で一階は扉を全部はずすと、大きな一つの部屋になります(冠婚葬祭時に村内の人が全員座れるようにです)。イメージはズバリ「犬神家の一族」の家。
そのような大きな屋敷ではありましたが、時間と時代の経過で、その現象があった当時、住んでいるのが私の母だけになりました。
ちなみに実家は現在、度重なる地震の影響で、もうありません。
その実家を壊すしばらく前の話になります。
ある日私は仏壇の世話をしておりました。
その時、先に説明した雪の重みの影響で立て付けの悪い扉がスパーンとすごいスピードで開いたのです。ありえないスピードです
そこには若い軍人の霊が立っていました
「私は戦争で亡くなったものです。どうか私の供養をしてほしい」と一言
私は「…。はい、わかりました」と答えたら、また、立て付けの悪い扉がスパーンとすごいスピードで閉まりました。
腰を抜かしたのはその後ですね…。私は不思議と怖いという感情ではなく「びっくりした~」という感情に包まれていました。
霊が怖いというより、建付けの悪い扉がスパーンと開いて・閉じる…そっちですよ。驚いたのは。そのスピードに驚きました。
話しかけるも何も、軍人の霊さんは、言いたい事だけ言って…。彼のお召し物(軍服)から、先の第二次世界大戦の時のものと判断できましたが、実は直系の実家には父方にも母方にも幸いな事に戦死者がおらず…
話を聞ける両家の祖父母も既に鬼籍…。これはこまったなあ…と。
私が車に母を乗せ、運転しながらこの話をしました
うちの母が「え~、私の実家じゃなーい?※つまり母方」と話していた時に
ものすごい強引な運転で割り込んでくる車がありました。
正直にはなせば、割り込みできるスペースじゃないところに、事故るかという勢いでしたよ。
例えば有名なB’z稲葉さんはファンの方が178で表現するように、実は私の父方の名字も数字に置き換えられるのです。割りこんできたその車のナンバーは「〇〇〇〇」と父方の名字の数字そのもので、母と二人でびっくりしたものです。
二人で「ああ…〇〇ケ家側なんだね…」と。
【戦死者の供養】として特別な事はしませんが、お線香、お水とお茶(この3点は必須)お食事、甘いもの、後は若輩者の私ですがお経をあげさせていただき、そのような供養を特定期間続けさせていただきました。
私のような若輩者が供養していいのでしょうか?との思いは正直湧いてきますが、と、同時に「私で良ければ癒しにご協力させていただきます」という気持ちで真心こめてさせて頂きました。
実はこのような経験はたまにあるのです。
この話のだいぶ以前になりますが、新潟の図書館で未成仏霊(メガネをかけた男性でした)に遭遇し、「ぼくは〇〇※フルネーム)、生年月日は〇月〇日、供養してください!」と頼まれ…。
その話はまた、次の機会に。
2026年 睦月 玉朱